「ふー、やっと着いた」
若い剣士はそう言うと、入り口にある背の高い木の幹に手を付いて、何かを懐かしむような眼差しで樹木のてっぺんとその先にある青い空を見上げた。
正午を過ぎて日が傾きだした頃、傭兵らしき2人は廃坑の入り口にいた。
「歩くと遠いんだねぇ、疲れちゃったよ」
微笑みながらそう言う剣士に、
「歩こうと言ったのは貴方ですよ、ルイス」
と冷静に、やや呆れ顔で答えるのはビショップのジェラルドだ。
ルイス【ルイス ローゼンフェルド】はハノブ出身で、ローゼンフェルド家の次男で20歳。12歳の時に兄アッシュに触発されて剣技を習い始める。鉱夫になるのは歳とってから、という独自の思想で2年前にハノブを出た。
ジェラルド【ジェラルド カルゼン=ブラッカー】は神聖都市アウグスタ出身のビショップでルイスの同僚。年齢は不詳だが見た目は20代後半である。
2人はブルンネンシュティグが有する軍に所属している。
今回はエルベルグ山脈ハノブ西部地域付近にて空に伸びる閃光を目撃したという情報があり、その調査に派遣されたのだ。先行隊の話では、エルベルグ山脈西部の荒地に大きな穴が確認でき、明らかに内側から強い力が働いて出来たものだという。位置としてはおそらく廃坑、もしくはパブル鉱山内部で発生したと言うのが見解らしい。
ルイスとジェラルドはその現場の確認及び調査が任務だった。

「剣の稽古にね、よく来たよ」
「変わってないなぁ」
入り口付近から見える景色を眺めながら十数年ぶりに訪れたようなルイスの口ぶりに、ジェラルドは質問を投げかける。
「ここへは何年ぶりになるのですか?」
「んー、2年かな」
2年じゃそう変わらないでしょう、とジェラルドは思ったが口には出さず、「そうですか」とだけ言い苦笑した。

心地よい風が2人の頬を伝い、抜けていく。
ここで異変が起きたなどとは思えないぐらい静かで、風になびく草木が奏でる和音は心を落ち着かせた。
顔をやや俯き加減に目を閉じ、ただ風に身を任せていたルイスは、やがてゆっくりと瞳を開く。
「何か妙な感覚なんだ」
「たいした任務でもないのに、震えが止まらない・・・」
ルイスは両手を広げて篭手で包まれた掌を見つめる。それは、これから起きる何かを予見しているのだろうか。それとも光の柱に対して意識下で恐れを抱いているのだろうか。
今のルイスには判らなかった。
ジェラルドはただその言葉を聞くだけで何も答えなかった。答えを求めているのではないと察したからだ。

ルイスはもう一度目を閉じ、強い決意と共に見開いた。
そこには先ほどまでの笑顔は無く、剣士の顔があった。
「いこう」
ルイスの声にジェラルドは肯き、廃坑へ足を踏み入れた。


パブル鉱山は、閉山してからすでに10年。
入り口は頑丈な鉄の扉で閉じられており、鍵が掛けられている。
ケインはパブル鉱山の入り口に来ていた。なぜここに来たのか、ケイン本人にもよく判らなかった。ただ、ハノブのためにという人一倍強い気持ちがここへ来る事を駆り立てたのかも知れない。
とにかくここまで来たのだ。鉱山の状態を見て安全を証明し、この鉱山の採掘再開を促そうとケインは考えた。
ゆっくりと扉に近づくケインは鍵に気が付くが、それを特に気にする事もなく扉の周りを念入りに調べる。
「罠はない、か」
鉱夫ぐらいしか近づかないこの扉に、罠があったとしたらよほど意地が悪い。
扉の鍵穴に右手をかざし、目を閉じる。
数秒後にカシャと開錠した。
「ふう」
鍵開けのスキルを使ったのは何年ぶりだろうか。腕は然程鈍っていない事にケインは少し安心した。
安全を証明する、などと思いながらも武装しているケインなのだが、中に入っても何故か魔物の姿を確認出来ない。
安堵しつつも不思議に思い辺りを見渡すと、岩壁や地面に無数の引っかき傷のようなものがある事に気が付いた。
嫌な予感はするが、いまさら後に引くつもりも無い。
念のために気配を消しながら奥へと進み、魔法円が床に描かれた場所にでた。
「これは・・・」
過去に魔法都市スマグのウィザードギルドマスターであったゲンマが施したという魔法円。
その存在を知らなかったケインはこんなところに魔法円が存在していた事にも驚いたが、更に驚かせたのは魔法円を切り裂くように大きな引っかき傷があったからだ。
そのためか、この封印はほとんど機能していないようだった。
ケインは魔法円の中央にしゃがみ、えぐり取られた地面の傷を確認する。
「この傷・・・まだ新しい」
何者かによって破壊された封印の向こう側に、奇妙に岩が転がる一角があった。
崩落でも起きたのだろうかと思ってそこへ向かうが崩落の跡は無く、周りにもいくつか岩が転がっている。
不思議に思い更に奥へ進むと、そこには驚愕の光景が広がっていた。
天井には直径およそ5メートルの穴が、どこまで続いているのか確認できないぐらい上に空いており、そして地面にも同じ大きさの穴があり、穴に発生した煙のようなガスで底が見えない。
「これって、酒場で話していた・・・」
ケインは得体の知れない恐怖に全身に鳥肌が立ち、息苦しくなり呼吸が荒くなる。
ここに居てはいけない。何かとんでもない事が起きている。
縺れそうになる足を無理やり動かしてその場から立ち去ろうとしかけた時、鉱山内に響き渡る不気味な音にゾクッと背筋が凍る。

オオオォォォン・・・
ケインはとっさに一番近くの岩壁に移動し、壁を背にして辺りを注意深く見回す。
然程動いてもいないのに全身から出る汗が止まらない。
近い。
岩壁の向こう側におぞましい気を感じる。なぜこんな気配に今まで気が付かなかったのか。
ケインは恐る恐る岩壁から向こう側を覗き込み、徘徊する魔物の姿を見てはっと息を呑む。
「バフォメット!」
「そうか、こいつが封印を・・・」
手に持つ鎌を見て封印を破壊したのがこの魔物である事は容易に推測できた。
ただこの魔物に封印を破壊するほどの力が・・・
「!」
そこまで考えて天井を抜ける穴が脳裏を過ぎり、戦慄した。
「こいつ、何か得体の知れない力を・・・!」
ケインはその魔物に恐怖し、消していた気配が一瞬だけ漏れる。
バフォメットはそれを見逃さなかった。
ゆっくりとケインの方へ振り向き赤く光った目をクワッと見開くと、天井に向かって吼えた。