バフォメットはその場で鎌をゆっくりと振り上げ、もの凄い速度で振り下ろすと、強烈な衝撃波が空を走り隠れていた岩壁がえぐり取られる。ケインは咄嗟にその場から飛び、腰に差していたダガーを両手に取ると同時に投げつけた。
しかしバフォメットは、振り下ろした鎌を素早く振り上げて飛んできたダガーをいとも簡単に吹き飛ばす。
そして間髪入れず再び鎌を勢いよく振り下ろした。
魔物との距離はおよそ10mあったが、ケインは思わず頭の前で腕を十字に組み、両足をやや開いてその場に踏ん張った。
直後、ゴウッと突風がケインを襲う。
突風と衝突した直後、その衝撃に鎧がきしみ、カマイタチのような現象で武装されていない手の甲や頬が切れて血が飛散する。
「グゥッ・・・!」
なんとかそこで踏ん張る事に成功し前方を見ると、魔物は体をグッと低くしてからケインの方に飛び掛かってくる瞬間だった。
バフォメットはケインがそこで耐える事を予測していたのだ。
バフォメットは空中で鎌を振り上げ、ケインを目掛けて振り下ろす。
ケインは無我夢中の横っ飛びで、なんとかそれを回避すると、空を切った鎌は地面に突き刺さり、地面が大きな悲鳴を上げる。
直後、バフォメットは地面から鎌を引き抜くと同時に薙ぎ、ケインに向かい衝撃波を放った。
「な!?」
至近距離に防御の体制を取る間もなく、衝撃波の直撃を受けたケインの体は十数メートル吹っ飛び、岩壁に衝突してズルッと力なく地面に落ちた。
「ガハッ」
衝撃に肺が押し潰されて一時呼吸が止まり、そこから回復すると無理やり肺に空気を取り込み咳き込んだ。
立ち上がろうとするが、体が痺れて動かない。
それを見て勝利を確信したのか、魔物はゆっくりと向かってくる。
ケインは痛みを堪えながら薄目を開け、荒く呼吸をしながら魔物を見つめる事しか出来なかった。


魔物と対峙してたった数分。
一時前では予測も出来なかった最悪の状況にケインの思考は停止していた。
必死に回避する方法を考えようとするが、身体はダメージを負っている上に麻痺もしているので、ベルトポケットに入っている強化解毒剤やヒールポーションを手に取る事も出来ない。
もはやこの状況を回避する方法など無く、迫り来る最悪の結末を受け入れるしかないように思えた。

「ここで・・・・・・」
ケインは、受け容れ難い現実にその先の言葉を言えなかった。
ケインは、ハノブで初めて人の温もりを感じた。
親もなく素性の知れない自分をハノブの人々は皆、笑顔で迎え入れてくれた。
だから、ここで暮らす人たちの笑顔は大好きだった。
鉱山が疲弊し、その笑顔が消えそうで・・・自分を救ってくれた人たちになんとか恩返しをしたかっただけなのに。
「何やってんだ・・・俺は・・・」
ケインは、悔しさと、後悔と、否応なしに押し寄せる恐怖が交錯し、流れる涙が止まらなかった。

魔物はすぐ目の前にいた。
完全に戦意を喪失している人間の全身を嘗め回すように見てから嘲笑い、奥の歯茎まで剥き出して赤く光る目を細めた。
目の前にいる人間の息の根を止めるべく、鎌を振り上げる。

ガァァァァァァッッッ!
精神は高揚し頂点に達して全身が震え、快楽のあまり叫ばずに入られなかった。
バフォメットにとって、まさに至福の時だった。
そしてケインの頭部をめがけて振り下ろす。
ギィィィィン!
瞬間、黒い巨体が疾風の如く近づき、とどめを刺そうとしている魔物と、力なく横たわる人間との間に立ちはだかった。
そして振り下ろす鎌を、2メートル近くあるだろう長身の剣ツヴァイハンダーが受け止める。
バフォメットは、予測も出来なかった割り込みに呆気に取られたが、至福の瞬間を邪魔された事に気が付き、鼻筋にしわを寄せ介入者を睨み付けた。

「遅くなったな」
睨み付けて来る魔物を冷静に見据えながら、一呼吸置いて黒い巨体は言った。
聞き覚えのある声に、ケインは薄目を開ける。
目の前に見えるのは漆黒のフルプレートアーマーに身を包んだ戦士、アレクの姿だった。

「・・・頼んで、ねぇよ・・・」
力弱く言ったケインの瞳からは涙が止まらなかった。
それは安堵のものへと変わっていた。